保育園きのねブルーミングキッズ株式会社

毎日が夏休み!生活の中で育ち合い
ありのままでいられる「みんなのおうち」

保育園きのね

認可保育園に移行して…新たな物語のはじまり

愛着ある旧きのねから、ピカピカの新築園舎へ…環境ががらりと変わり、試行錯誤の1年間

手作りの旗がはためく園舎。40年以上続く、子育てへの想いが詰まっている。
手作りの旗がはためく園舎。40年以上続く、子育てへの想いが詰まっている。

きのねの前身・たつのこ共同保育所は、1977年、お母さん2人と保育者1人で立ち上げた小さな共同保育所でした。「子育て支援」という言葉もない時代のお話です。高度経済成長期、働く保護者がどんどん増えていました。「待機児童ゼロ作戦」を掲げ、国や自治体主導で、街のあちこちに保育園が乱立する現代ですが、当時は、行政による保育所の整備が追いついていませんでした。
働きたくても預け先がない……そんな切羽詰まった状況をなんとかしようと、知恵と工夫と愛情で、当事者である保護者と保育者が必死の思いで作った託児所、みんなで子どもを育てあう、育ちあう、あたたかくも人間味あふれるコミュニティ、それが共同保育所です。全国でたくさんの共同保育所が生まれ、社会を根底から支えていたのです。

しかし時代は移り変わり、少子化の波の中で、小さな保育所はだんだんと運営が難しくなっていきました。たつのこ共同保育所はそんな中でも地域に愛され、多くの卒園児を送り出していましたが、時代の波には抗えず、だんだん園児数が減り、運営が立ち行かなくなってしまいました。(→川崎市とくに高津区宮前区は少子化の中でも子どもは多いです。運営が難しくなったのは、認可保育所の整備がすすんできたので、保護者が運営する、しかも保育料がかかる、運営が不安定、というような園は保護者にとって魅力がなくなってきたと、私は見ています。)私がこの園にかかわり始めたのはその頃のことです。「いよいよ閉園するしかないのか」という状況に陥っていたとき、現在の法人であるブルーミングキッズ株式会社が運営を引き継いでくれることになりました。川崎認定保育園「保育園きのね」になったのが、2017年。そして満を持して、2022年4月1日、認可保育園になりました。

認可保育園への移行は、手続きもさることながら、新しい園舎を立てる土地探しから開園まで、とても大変なプロジェクト。無事に引越しが終わったときには、胸をなでおろしたものです。
まだ少し肌寒い3月の終わりに、小さな古民家のような、昭和中期の味わい深い家屋から、トラックや自家用車、自転車や手押し車で何度も往復して、思い出も歴史も、家財道具も、一式まるごと全部積み込んで(がらくたはだいぶ断捨離しましたが)、ご近所の敷地に新築した、ピカピカの大きな園舎に、みんなで力を合わせてお引越し。お祭りのような騒ぎでした。
旧きのねの園舎は、本当に大好きな私たちの居場所でした。床も壁も、屋根も窓も、ぎしぎし、みしみしときしんで、扉や窓の立て付けも悪く、2階に上がる階段は、まるで忍者屋敷のように急で狭くて、それはもうスリル満点。台所も居間も、はなれの赤ちゃんのお部屋も、夏は暑くて冬は隙間風がぴゅうぴゅう入ってくるような、おんぼろの建物でしたが、みんなで車座になってお話したり、高いところから飛び降りたり、押し入れを基地にしたり、子どもにも大人にもとても居心地のよい空間でした。

吹き抜ける季節の風の肌触りや、虫の声、近所の夕食のにおい……来る人みんなが口を揃えて「懐かしい!おばあちゃんのおうちみたいです」と言ってくれました。子どもも大人もごろごろころがって、笑ったり泣いたり、ここで育った人たちの愛情がたくさん詰まった家でした。庭には手作りのウォータースライダーや、みかんの樹にはブランコ、子どもたちがいつも泥んこになってきゃっきゃと走り回り、木登りを楽しんでいる、お母さんお父さんが庭先でおしゃべりして、いつまでも笑いあっている……そんな光景も、旧園舎の取り壊しとともに、現実の世界では思い出の一ページになってしまいましたが、いつまでも私たちの心の中に、ほっこりふるさとのホタルのように、灯ってくれています。

最後の日々は名残惜しく、感謝の気持ちを込めて、子どもたちと壁いっぱい落書きしたり、お別れ会を開いたり、4月になっても、取り壊す前の最後の雄姿を目に焼き付けようと、子どもたちも保育者も保護者も、こぞって園に足を運んだものです。

大好きだった愛着のある園舎から、この新しい園舎に来たばかりのころは、私自身も、なんだか寂しくて、いつまでもくよくよしていました。旧園舎からは歩いて10分足らずの超ご近所だというのに……!まるで見知らぬ土地に疎開してきたような気持ちにもなりました。

まったく違う環境に放り込まれて、私以外の保育者たちも、なんとなく居心地が悪かったようです。「どうやったら、子どももおとなも生活しやすい場所、これまでのきのねのような空間に近づけることができるだろう」とみんなで頭をひねって、ときには遅くまで、ああでもない、こうでもないと話し合いました。そしていま、認可保育園になって1年と少し経ち、ようやく「“きのねらしく”なってきたかな」と思えるところまで来たかな、と思います。
家具や玩具など、使えるものは使う、古いものをそのまま持ってきました。使いやすくてきれいな新品も、もちろん購入しましたが、壊れたり穴が開いたりしても長く使い続けることの大切さも、子どもたちに伝えたい大切なことのひとつ。70年代のレトロなキャビネットも、現役バリバリで大活躍してくれています。

私の「保育観」の原点

原点は「自主保育」。4人の子育てと
お母さんの人脈がつながり、いつしか保育の道に

園長のよっしー
園長のよっしー

共同保育所から認定保育園、そして認可保育所へと、ここ数年間は、ドラマチックな展開の連続でしたが、とにかく、無我夢中で駆け抜けてきました。あまりにも慌ただしすぎて、すべてがスローモーションで起きている感じ。

私は、「園長」とか「施設長」と呼ばれることが何よりも苦手で、「園長先生」と呼ばれるたびに「やめてください、ヨッシーって呼んで」と言ってきました。最近ではようやく覚悟が固まって(笑)、園長と言われても動揺しなくなりました。きのねでは、保育者も保護者も、下の名前で呼び合っています。基本的には「先生」という呼称はつけません。

私は「保育士になりたい」という夢を抱いていたわけではなく、ましてや、若い頃から保育士をしていたとか、認可保育園で何十年も経験を積みました、というキャリアもありません。なるべくしてこうなった、という人生だったのです。しかし今にして思えば、「自主保育」との出会いが、保育の世界へと導いてくれたきっかけだったのだな、と思います。

私は4人の子どもを育てあげました。(そのうち2人は双子です)。子育ては本当に本当に大変で、猫の手も借りたいぐらい!ほぼワンオペでした。近所の幼稚園に上の子2人を通わせていたのですが、とても素晴らしい理念と歴史ある幼稚園だったのですが、「もっとのびのびと子どもを遊ばせてあげたい、泥んこになったっていいじゃない」という子育てをしたい私と、きれいなお洋服やお稽古事、お出かけのことばかりお話している他の保護者や、園の教育方針に何か違和感を感じ始めていました。

そんなときに出会ったのが、子育て中の人たちが集まって、青空の下で子どもを育て合う
「自主保育」でした。宮前区にいまもある、「B.B.だん」です。
子どもが卒会するまで、7年間お世話になりました。宮前区はいまでも自主保育がさかんな地域でほかにもいくつかのグループがあり、交流も活発に行われています。
近所の公園で集まって朝からお昼過ぎまで、お弁当を持ち寄り、話したり、遊んだり、遠くまでお散歩に行ったり……季節の遊びや、自然の中でのびのび過ごす時間を共有し、子育ての悩みを相談し合っていました。雨の日も、よっぽどの嵐でない限り、みんながそこにいてくれた。私も子どもも、みんなに育ててもらいましたね。
また当時「カンガルー通信」というミニコミ誌があって、地域のお母さんたちのネットワークだったんです。「この公園にはこんな遊具があるよ」「ここに行くと小さい子も楽しいよ」という情報をみんなで提供し合っており、私もよく投稿していました。こうして自主保育から始まって、地域のいろいろな人たちとつながっていきました。

遊び込める環境づくりへの想い

名前のない遊びこそ、子どもの遊び
遊び場がない、今の時代だからこそできること

手作りのウォータースライダー。泥んこで遊べる表情豊かな、〝でこぼこ“が、子どもたちのワンダーランド。
手作りのウォータースライダー。泥んこで遊べる表情豊かな、〝でこぼこ“が、子どもたちのワンダーランド。

もともと私は集団遊びが苦手だったので、例えば「どろけいをしよう!」といっても、ついていかれませんでした。ルールがなかなか覚えられないんです。人とわいわい遊ぶというよりも、一人遊びを楽しんでいました。
土をいじる、石を積む、穴を掘る、泥や草で遊ぶ……自分の子ども時代を思い出してみると、そんな遊びばかりしていました。
いまの子どもたちは、だんだん窮屈な環境に追い込まれているなあ、と感じます。公園で水遊びをしていると、地域の方から「そんなにたくさん水を使ってもったいない!」と怒られたりします。

子どもの遊び場がなくなっているんですね。大人が一緒にいれば、遠くまで行かれるけれど、子どもだけではいかれない、いつまでも大人の管理下で遊ぶ、というのはおかしな話です。

自分が育ってきたような自由で豊かな環境は少なくなってきてしまったけれど、子どもが子どもの足で行って帰ってこられる、身近な遊び場があったら……それは、もっともっと自由に遊びたかった自分へのオマージュだったのかもしれませんが、そんな思いを形にできないかなと考え、同じような志をもっている仲間はいないかと、区民会議に参加してみました。自分の子どもたちが成長して、だいぶ手が離れてきたころのことです。

そうしたら、あれよあれよという間にまたいろいろな人とつながって、当時横浜市が力を入れ始めていた「プレイパーク」の青葉区代表になることになったのです。プレイパークとは、公園などの広場を拠点に、普段できない木登りや焚火、落ち葉のプールなど、できるだけ禁止事項を設けずに自由に遊べる居場所です。
担い手は、地域活動をしている市民団体やボランティア。プレイリーダーと呼ばれる大人が常駐し、遊び方のコツを伝えたり、大きな事故が起きないように見守っています。
あくまでも子どもが主役、子どもと一緒になって遊びます。
プレイパークは誰もが、無料で自由に利用することができるので、放課後にふらりと立ち寄って思う存分遊んで帰ることができます。
そこでは、何人か印象的な子にも出会ってきました。そもそも遊び方がわからない子、空気を読めないと大人に言われている子……親が働いていて、あまり一緒に遊んでもらえなかった子は、思いっきり自分をさらけ出して遊びに夢中になっている大人たちの姿を見て、「こんな親だったらよかったのに」とつぶやいていました。どんなバックグラウンドの子どもたちも、いつでも好きな時にきて遊んでいい、遊ばなくてもいい、そんな居場所をつくろうと、雨の日も風の日も、公園で子どもたちを待っていました。小学生から高校生まで、たくさんの子どもたちが遊びに来てくれました。

いまはもう、私自身はプレイパークの活動からは離れてしまいましたが、「子どもの居場所をつくりたい」という気持ちは持ち続けています。

プレイパークの活動をしながら「もっと子どもにかかわる仕事をしてみたいな」とぼんやり考えていたとき、「たつのこ共同保育所で働いてみない?」という話が来たのです。自分の子どもを育てるだけでも大変なのに、お金をいただいて、人様の子どもを預かるなんて……と、保育園に対するイメージは全く持っていませんでしたが、子どもと一緒にのびのび生活する保育者の姿を見て、「これならやっていかれるかもしれない」と、思い切って保育の世界に飛び込みました。
そして働き始めてすぐに保育士試験の勉強を始め、その年の10月に一発合格しました。
愛情だけでやっていた保育でしたが、大切な生命を預かるということがいかに大変なことなのかを、保育者になって思い知らされましたね

いま、きのねで働いている保育者の中には、自主保育やプレイパーク時代の仲間、そこからつながって出会った人が何人もいます。おかげで採用活動をしなくても、不思議なくらいスムーズに仲間が集まってきます。世の中では保育士不足が叫ばれて久しいですが、きのねはいつも、人のご縁に恵まれているな、と心から感謝の気持ちでいっぱいです。

きのねの保育理念、保育の特徴について

満足するまで、とことん遊ぶ!
子どもは勝手に育っていく

おいしくて栄養満点で子どもも大人も、きのねのごはんが大好き!給食とおやつの献立は、管理栄養士が0から考えています。自家製の「米ぬかのふりかけ」も大人気。
おいしくて栄養満点で子どもも大人も、きのねのごはんが大好き!給食とおやつの献立は、管理栄養士が0から考えています。自家製の「米ぬかのふりかけ」も大人気。

きのねでは、子どもも大人も、自分らしく、ありのままを受け止めてもらえる居場所づくりを大切にしています。カリスマ的な人の言う通りにするのではなく、いま、ここにいる人が、いま目の前の子どものためにできることは何かを考えます。
「これがうちの園のやり方です、だからこうしてください」とか「いままでの園ではこうだったから、こうしなければ」というのではなく、保育者それぞれの価値観を尊重しています。

朝早くから子どもたちは、自分の好きな遊びに没頭しています。夏の間は、お気に入りの水着を着て水遊びをする子、お部屋の中でくつろいでいる子など、自分のやりたい遊びをとことん終わりまで楽しんでいます。
お散歩も一筋縄ではいきません。みんなの行きたい場所が違うので、なかなか出発できない。それで大きい子のクラスでは、来週はどの公園に行きたいかみんなで話し合って決めることにしました。保育者は、子どもたちのその時々の姿をキャッチして、子どもの考え方ややり方を尊重して、とことん付き合います。でも、もちろん「そろそろごはんだからね」「雨が降りそうだから帰ろうか」など、大人が見通しを付ける場面もあります。でも基本は子どもたちが主体です。

きのねの保育理念は「生きる力をはぐくむ」「おとなも共に育つ」です。
外遊びの時間をたっぷりとることを大切にしています。
遊びの始まりと終わりは、子ども主導。大切なのは、何をするかではなく、「対話」で決めていくことです。
第二の家のようにくつろいで過ごせるように。まずはその子のありのままを受け入れ、愛着関係を作っていきます。
クラス活動もありながら、きのねでは、異年齢で過ごす時間を大切にしてきました。0・1・2歳は「ちいさいこ」、3・4・5歳は「おおきいこ」。きょうだいのように育ち合っています。2歳児後半から、徐々に、3歳児のみどりぐみと合同で生活するなど、子どもの姿をみながら臨機応変に活動しています。
そして子どもも一人の人間。人格や個性を尊重します。ちいさいこたちをお世話する際の声かけも、「おむつ替えていいですか」「お外で遊びますか」「「どちらのお洋服にしますか」など、「~しましょう」「~するよ」と大人主導にならないように気を付けます。
「自分でやりたい」「~がいい」子どもの意思をまずは聞くことです。

イヤイヤ期こそ、対話が特に必要な時期。「イヤ!」「キライ!」と大人に反抗しても、叱らないで受け止めます。「あら残念ね~。私は好きですけどね」と応じます。イヤイヤ期に、ありのままを受け止めてもらえることで、「どんな気持ちを表現してもいいんだ!」という自己肯定感がはぐくまれます。「大人が気に入りそうなこと」を言える子どもは、成長してからその反動が来てしまうことでしょう。その時期その時期の発達課題と向き合い乗り越えることが重要だと思います。

おおきいこたちは、毎週金曜日ミーティングを行っています。次週に行きたい場所、やりたいことを出し合って決めます。席についていない子どもいますが、咎めずに需要しているうちに、だんだん車座になるようになってきました。
クラス名も、子どもたちと考えてきめています。0歳児はひよこぐみ、1歳児はいちごぐみ、2歳児はばななぐみ、3歳児はみどりぐみ、4歳児は鯛サメぐみ、5歳時は龍ぐみとバラバラです。

お散歩も、ときどき0~5歳まで、合同で行きます。また、行き先を決めない「ミステリツアー」や、焚火を楽しむ「焼き焼きパーティ」も人気です。
月に1回、おおきいこたちは少し遠出をします。給食をお弁当仕立てにして、お届け。いつもと違う場所で食べるお昼ご飯は格別です。そして帰る時間を気にせずに遊びこむチャンスです。

子どもの育ちを見守りはぐくむ保育者の役割

「やってみたい!」「できるもん!」の瞬間にこそ
子どもはぐーんと育っている

高いところにのぼったってOK! ルールは自分たちで決める。とっくみ合いの喧嘩もまずは見守る。
高いところにのぼったってOK! ルールは自分たちで決める。とっくみ合いの喧嘩もまずは見守る。

ケガに関してもおりにふれて、保護者にもお話しています。子どもって、赤ちゃんのときから、十分にはいはいすること、探索行動をとことんさせてあげること、立つ、歩く……あたりまえの動きをしっかりやっていくだけで、運動能力が身についていきますよね。
ケガをしないようにするにはどうしたらよいか、転んだり、少し痛かったり怖い思いをしたりするなかで体験して体で理解していくのです。

保育者の役割は、そのための環境を整えて、敏感期に十分に試させてあげることです。
ケガはしないにこしたことはありませんが、どうしてもしてしまうことはあります。ケガをするから危ないからと、やらせない、というのではなく、まずは「やってみたら?」の姿勢です。

例えばいま、きのねでは、園内の階段から飛び降りることが流行っています。大人からみたら「ぜったい危ない!怖いなあ」と思うような高さから、飛び降りようと頑張っています。
初めてその姿を見た人は「危ない!ケガしちゃったらみんなが悲しむよ」なんて声がけをしがちですが、ケガするかしないかは、本人が一番わかっているんです(もちろん年月齢にもよりますが)。

子どもは勝手に育ってくれます。その子その子に合わせたやり方や接し方はもちろん大切。子どもに寄り添うということは、難しいことですよね。泣いたらすぐに抱っこしてあげるという愛情ももちろん大切ですが、集団で過ごしている保育園だからこそ、みんなで育ち合える活動や環境をどうやって生かしていくか、工夫していくか……、それを考えるのが保育者の仕事です。
できることがある子どもがいちばんよくわかっています。私たち保育者は、その子どもの「やりたい」をできるだけ叶えてあげるためにも、目の前の子どもの姿をよく観察して、「いま何ができるか」を考え続ける、やってみる、そのトライアンドエラーの繰り返しが、保育なのではないかな、と思います。

保育も運営も、子どもを真ん中に。

みんないっしょに生活する仲間
いまここにいる人が、できることをすればいい

たつのこ時代からの使っている引き出し
たつのこ時代からの使っている引き出し

大人たちは、保護者も保育者も一緒になってとことん話し合います。きのねの特徴のひとつが、みんなで運営している「ねっこの会」です。子どもの育ちを共有し、近況を報告しあったり、悩みを相談しあったり。どんなに小さなことも話し合う、みんなで決めることを大切にしています。共同保育所時代からの伝統みたいなものですね。いっしょにつくっていく、それを何よりも大切にしています。

でもそれは、小学校のPTAのようなものではありません。みんなでできることを、ゆるりとやっていくことをモットーとしています。「毎年こうやっているから、今年もこうしましょう」「このとおりにやらなくてはいけない」というのではなく、「そのときいる人で、できることをしましょう」ということですね。

人として仲良くなれる、リスペクトする部分を見つけること。それがないとなりたたないですよね。まだまだ道半ばですが、園のここかしこでみんなが話し込んでいて、つねにコミュニケーションできるような園舎にしていきたいと思います。
そして保育園だからと、何か特別なことをしなくてはいけない、と構えるのではなく、おうちで子どもを育てるのと同じです。無理せずに、生活していくこと。ともに生きている仲間として育ち合う。まさに、倉橋惣三先生の「生活を、生活で、生活へ」ですね。

見学にいらっしゃる方々からは、きのねの子どもたちが、汚れやケガを気にせず、のびのびと、昔ながらの遊びを楽しむことができている姿を見て、「いいですね、自分もこういう園で過ごしたかったな」とおっしゃいます。
たしかに!私だって、園児になれるなら、子どもに戻って、きのねに通いたい!と思う毎日です。「子ども主体の保育」という考え方が保育の主流になって久しいですが、実際、子ども主体って、いうほど簡単なことではありません。
汚れても、ケガしても、喧嘩しても、しっかりと受け止めてくれる、待ってくれる、忍耐強い大人がいるからこそ、それが成立するわけです。

意味があるかないかもわからない、名もない遊びを繰り返しながら、学ぶ力や抵抗する力、折れない心を育てていく子ども時代。しかしいま、遊ぶ「空間」「時間」「仲間」の”サンマ”が、失われてしまっています。「それを取り戻す責任が、大人にはあるぞ!」なんて、もう40年前ぐらいから言われているのに、なぜ改善されないのでしょう?「受験戦争や、学歴社会はおかしよね」というのも、私が子どものころから言われているのに、むしろ加熱の一途をだどっています。

そんな大人の心配を知ってか知らずか、子どもたちのパワーはすごい!
ねんね→ハイハイ→立って歩く→階段の上り下り→高いところにのぼる→とびおりる→さらに高く・・・・・・といつも自分の限界ギリギリを攻めながら、自分を育てています。
大人が教えてあげる、育ててあげるのではなく、自分でつかんでいく。育っていく。ときには、危なくて、汚くて、うるさい。それが生きるエネルギーそのものだと、容認できる社会になるといいですね。

子どもが危険なことや「おっと、それは……」と思うことをしているような場面に出会ったら「おや?みんな、おうちでもそうやってしているのかな?」と聞いてみます。あくまで子どもとは対等です。するとたいてい、子どもはハッとして考えます。「そうだよな、おうちではこんなことしていないぞ、だから、保育園でもやったらいけないんだな」と自分で気づくわけです。
ときにはかっこ悪い自分や弱音を吐いたり泣いたり、友達と喧嘩してバツが悪くなったりします。大人も同じですよね。

それでいいんです、そんなときに、お互いのどんな姿も認めあって、自分らしく毎日過ごすことができるだけで、「自分がいていい、生きていい場所」になる。
きのねは、特別な場所ではありません。時代が変わっても、ずっと変わらない、人間臭くてあったかい、そんな場所であり続けたいと思います。

この保育園の施設概要

施設名 保育園きのね
勤務地 神奈川県川崎市高津区
最寄り駅 東急田園都市線 宮崎台駅(徒歩5分)

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